PROFILE  &  HISTORY

1980-82

NY/サウスブロンクス出身。本名はJOHN BENITEZ

彼の妹がつけたニックネーム“JELLYBEAN”で呼ばれる事が多く、レコードのクレジットにも「JOHN“JELLYBEAN”BENITEZ」と書かれています。

80s前半10代にしてNYの有名クラブ“FUNHOUSE”で修行を始めます。82年にはハイセンスなDJテクが認められ、トップDJへと成長しました。

そして、当時HIPHOP界の仕掛け人として手腕を発揮していたARTHUR BAKERに弟子入り、プロミキサーを目指し、Tommy Boyレーベルのミキサーアシストの仕事を担当します。師匠のARTHURと共に、AFRIKA BAMBAATAANEW ORDERFREEEZなどのアーティストのミックスアレンジをこなしていき、着々と全米の音楽業界での知名度を上げていきました。

1983-84

83年に入るとすぐに、彼にとって大きなチャンスが訪れました。DJ時代に知り合ったGIORGIO MORODERから、ダンス映画“FLASHDANCE”の主題歌及び使用曲のリミックス依頼が入ります。ご存知のようにこの映画が大ヒット、使用曲2曲(“FLASHDANCE..WHAT A FEELING”“MANIAC”)がHOT100で堂々bPに輝きましたね。彼の手掛けたこの2曲の12インチリミックスも見事ダンスチャートのbPをゲット、全米だけに留まらず全世界的にリミキサーとしての“JELLYBEAN”という名前を広める事が出来ました。

また、DJ時代から付き合っていた恋人/MADONNAのデビューに際し、“BORDERLINE”“BURNING UP”などのミックスを担当する事になり、こちらもご存知のように大ブレイクとなりましたね。(残念ながら、86年にはMADONNAとの関係は破局しちゃいました)

この成功を機にして、大物アーティストからの12インチリミックス依頼が殺到、12インチブームも後押しし、86年までに50タイトルを超えるリミックスの仕事をこなしていきました。

(“COMPLETE MIXGRAPHY”を参照してネ)

1985-NOW

84年後半、JELLYBEAN自身がアーティストとしてミニLPをリリースします。まずはデビューシングルの“THE MEXICAN”というHIPHOPナンバーがダンスチャートでbPを見事ゲット。続いて、この頃アツアツだったMADONNAがペンを取り、ボーカルにも参加したHIPHOPナンバーの“SIDEWALK TALK”も続けてダンスチャートのbPに輝き、ナショナルチャートでもスマッシュヒットするという大活躍を見せましたね。

87年には、ソロデビューも果たしたELISA FIOLLIROを含む3人の実力派シンガーを迎えてフルアルバムをリリース、3曲のダンスヒットを放ち、安定した人気を獲得しました。曲を作ると同時にバックサウンドを殆ど自らこなしてしまうという、彼のレコード作りのスタイルやプロデュース方法が、かの小室哲也氏のヒントになったといってもいいでしょう。

88年に新曲を含むベスト盤、91年には新作をリリースしましたが、その後はマイペースで、ミキサーとしての仕事に専念しているようで、90s時代はあまり目立った活躍は見せていません。でも彼の事だから、再び名前を聞く時が来るのは間違いないと思います。

(90s以降の彼の仕事ぶりはオフィシャルサイトを参照してくださいませ)

written by ERIRIN (2001.3.27)