PROFILE  &  HISTORY

 

今では”HIP-HOP界の父”として君臨している御大の

歴史を、当時のINTERVIEWを交えてご紹介します!!

 

 

★目次★

〜1982 ROOTS OF HIP-HOP

1983 BLUE MONDAY   

 1984 BREAKER’S REVENGE〜破壊者の復讐〜

1984 BORN IN THE U.S.A.〜問題のリミックス〜

   1985  BREAKER’S RETIRE〜ミック・ジャガーとの確執〜

 

 

 

 

 

ROOTS OF HIP-HOP (〜1982)      AFRIKA BAMBAATAA

 

「僕の音楽性に多大な影響を与えたのは、やっぱりKRAFTWERKだね。

彼らの創り出すテクノサウンドには、正直ショックを受けたよ。

もちろん、YMOやDEVOもいいものを持ってたね。

ちょっと陰りの見えてきたダンスミュージックにカツを入れたかったのさ。

テクノポップとファンクの融合という難題をこなせたのも、

JOHNやBAMBAATAAとの英知ある共同作業のおかげだよ」

(1983/FM Fanより)

 

1955年4月22日生まれ。東海岸のBOSTON出身。

70年代は地元のレコーディングMIXERとして活躍してましたが、1980年に

N.Y.に進出し、朋友JOHN ROBIESHEP PETTIBONEらと共にTommy Boy”

レーベルを設立しました。当時、アンダーグランドだったHIP-HOP MUSIC

を主体にDEMO盤を製作、N.Y.のDANCE/DISCOシーンで注目を集めるよう

になりました。                                     

1982年にFUNK界の”KING”AFRIKA BAMBAATAAを招いて、HIP-HOP不滅の名曲

JAZZY SENSATION”を製作。その後、彼もKEYBOARDで参加したPROJECTチーム

PLANET PATROL”のフルアルバムをリリースするなど、全世界的に脚光を浴び

たのです。                                                       

 

 

BLUE MONDAY (1983)                     NEW ORDER

 

「あの曲のセンス、抜群だね。彼ら(NEW ORDER)には、僕と同じセンスを感じたよ。

だから、彼らから”CONFUSION”のリミックス依頼があった時は、即OK出したのさ」

(1983/FM Fanより)

 

”Tommy Boy”レーベルでの数々の成功の後、1983年には”STREETWISE”レーベル

を設立、他のアーティストからもプロデュースやリミックスの依頼が殺到するよう

になりました。                                                          

友人JOHN ROCCAと製作したFREEEZI.O.U”はUKチャートの第4位を記録、

自らの名前でリリースしたBREAKER’S REVENGE”はUS.DANCEチャートの第3位、

夫人のTINA B(TINA BAKER)をシンガーとして売り出すなど、大活躍でしたネ。

なかでも、UKテクノの雄、NEW ORDERとの共同プロデュースによるCONFUSION”は、

その後の、TECHNO / HOUSE POPの源流的作品といっていいでしょう。           

 

BREAKER’S REVENGE〜破壊者の復讐〜(1984) 

 

「ハイスクールはダンステリア」リミックス秘話

「あの曲(GIRLS JUST WANT TO HAVE FUN)は、(シンディ・ローパーが)”ハイ、これよ。このレコード、

どうしたらもっと面白くなるかやってみて”って感じだったんだ。ということは”何を足せばいいか?”

って事なのさ。俺が曲をいじりすぎると思う人達もいるけど、そうしてくれって言ってくるのはアーチスト

の方なんだ。今じゃもう、リミックスとも呼んでない。俺のやってることは完全にリプロデュース、だからね。」

(1985/Rockin’Onより)

 

 

 

BORN IN THE U.S.A.〜問題のリミックス〜 (1984)

 

「ダンシング・イン・ザ・ダーク」リミックス秘話

「最初にあの曲(DANCING IN THE DARK)を聴いた時、俺はボッーとしてしまったよ。歌詞が本当に心に

伝わって来たから。そして、欠けてると思う部分を頭の中で補いながら聴いてたんだ。俺はブルース

(スプリングスティーン)のマスター・テープをNYのパワー・ステーション・スタジオに持って帰って、

ブルースの見ている横でジョン・ロビーと一緒に曲を考え直してみた。はじめに、タムタム、ダルシマー

鉄琴、バック・ヴォーカル、ベース・シンセ、ホーン・シンセ、射撃音なんかをオーバーダブして、

それから各パートに更に手を加えてブルースの歌を再構成したんだ。」                          

「もちろん、スプリングスティーンの頑固なファンから文句を言われたよ。NYのあるDJが”問題の”

リミックスって放送で言った時、俺はひどくムッときたね。どこがそんなに違うっていうのかね?

鉄琴も入ってる、これはブルース自身が前に使ってるじゃないか。バック・ヴォーカルだってそう。

  何も違わないぜ。いいかい、もしアルバム・ヴァージョンをだれも聞かないうちに俺のヴァージョンが

出たら、だれも何も言いやしなかったさ、絶対。ブルースだってそう言ってる。」             

(1985/Rockin’Onより)

 

「カバー・ミー」リミックス秘話

「あれは(COVER ME)変だったんだ。はじめ聴いて、あんまり好きになれなくてね。あまりにありふれた

ロック・ナンバーみたいでーー俺にはあんまり縁のない世界さ。それでもブルースの曲だったから、

テープをスタジオに持って帰ったんだ。で聴いてみて分かったんだけど、最終的にブルースがアルバム

   で演ってるよりずっとスローなんだ。彼ら、途中でテンポ上げたんだよ。あの曲はもともとドナ・サマー

の為に書いた曲でね、ブルースは自分で演る段になると自分の調子に合うようにバック・トラックを

速くしなきゃならなかったんだ。それで俺はあの曲は思ったよりずっとイカしてるって気が付いて。

で、ベースをとりのけてみたら、なんとレゲエみたいじゃないか。それから、ジョスリン・ブラウン

のヴォーカル(2年前に録音)が入ってる事に気が付いた。思ったね、”おい、連中なんでこれを使わな

かったんだ!?”って」                                                                

「でも、何より必要だったのは最上級のベースライン、次にレゲエっぽいパーカッション。それでいつも

使ってる俺んとこのベーシストに弾かせて、パーカッショニストは彼らのほうで連れて来て、シンセも

少し足してダビングしたのさ」                                                         

(1985/Rockin’Onより)

 

「アウト・オブ・タッチ」リミックス秘話

「たしかに、俺の好きなようにやらせてくれたよ。アルバム(BIG BAN BOOM)のどの曲にも俺はかなり

首をつっこんだね。共作もしたし」                                                  

「ミックスをする時にはブレイクを入れたりとか、そういうやり方もするけど、2つのトラックを編集

する時には新手の効果が生まれるようにするんだ。あの曲の”アゥ!アゥ!アゥーアゥーアゥー!”という

部分ね、あれは全部編集して作ったんだ。デジタル・ディレイを使ったわけじゃないんだよ。テープを

切って一ヶ所を何度も繰り返すんだ。回ってるテープを見ると、継ぎはぎだらけさ」             

(1985/Rockin’Onより)

 

御大にとっては、1984年は寝る間もないくらい多忙な年になりました。大物アーティスト

からのリミックス(彼曰く”リプロデュース”)依頼が相次ぎ、USA全州を飛び回るのと

スタジオに缶詰になる毎日が続いたのです。この年リリースされたリミックス群は、DANCE

/DISCOチャートを摂関、アルバムのプロデュースを含めて雄に100タイトルを超えました。

プロデュースサポートとして参画したDARYL HALL JOHN OATESの”BIG BAN BOOM”が世界的

大成功に至り、黄金時代の到来かと思われましたが、ある事件がきっかけで他アーティスト

へのリミックスの仕事から遠ざかってしまいます…その事件とは…               

 

 

 

BREAKER’S RETIRE〜ミック・ジャガーとの確執〜(1985) 

 

 

 「人がこれ(JUST ANOTHER NIGHT)を聴くと好きになるか嫌いになるかどっちかなのさ。そこが大問題でね。

決して安全な出来とは言えない。俺ならこの曲をどう扱うか、っていう解釈をしてみせたものだから。

いかにも、ってロックンロール・ソングじゃないだろう。ふだんのミック・ジャガーよりずっと行儀がいい。

で、俺は言ったんだ。”せっかくそこまでやるなら、もっともっとやってナンバーワンのレコードを作っ

ちまえばいいじゃないの”って」                                                     

「俺はホーンやストリングス、バック・ヴォーカルをいっぱい入れて、ビッグにしようって言ったんだ。

ミックは俺がやったものが流行の音だって事は分かっていたけど、今じゃもう古いくらいだって事は理解

出来なかったんだ。彼に限った事じゃないよ。以前は先頭に立って時代を切り開いてた連中が、今じゃ安全

  な方、安全な方へと行きたがる。もちろんミックだって、初めてのソロ・アルバムなんだから、あまり危険を

冒したくないのは分かるよ。だけど、そのために12インチがあるんじゃないか。彼は俺の作ったやつを

コロンビアに聴かせてみせようともしなかったんだ。多分、気に入られないだろうって初めから思ってた

んじゃないかな。」                                                                    

「何が悔しいって、俺の人生の貴重な二週間を費やした作品が、永遠に人目に触れないってことだよ。俺は

リミックスを引き受けるのはもうこれで終りにする。そりゃミックス作業は今後もやるけど、

他人のレコードのリミックスに関わるのはもう止めた。これからはプロデュースに専念する。」                

(1985/Rockin’Onより)

 

 

確かに、御大の言い分はとってもよく分かります。でも、一番悩んだのはミック自身

でしょうね。初のソロ・アルバムというプレッシャーと、ミックがやりたかった音楽

とのはざ間で悩みまくった事と思います。最終的にアーティスト本人だけの意志では

決められないのが現実ですし、商業的な背景が絡んできますからよけいに難しい。

結果論になってしまいますが、JUST ANOTHER NIGHT”は最高10位止まりで、期待

した程のセールスにはなりませんでした。12インチだけでも、御大のリミックスをリ

リースして、冒険してみたら良かったのにネ!(この幻のリミックス、チョー聴きたい)

 

上のインタビューで言っているように、御大は85年以降はプロデュースに専念する

ようになります。STEVE VAN ZANDTと組んだプロジェクト”ARTISTS UNITED AGAINST

APARTHEID”、BOB DYLAN、映画のサントラ(GOONIES)などのプロデュースを手掛け

ました。他アーティストのREMIXについては、リリースの約束を取り交わした上で

携わる事になり、依頼のあった殆どの仕事を朋友のSHEP PETTIBONEに引き継ぐ形に

なったのです。86年以降、SHEPさんのREMIXが多くなったのは、そんな理由からで

した。御大の、過激なREMIX VERSIONで聴いてみたい曲たくさんありますヨ!!   

 

90年代も、STYLISTICSの復活プロデュースや、自ら作ったプロジェクトチームで

アルバムをリリースするなど、HIP-HOP界中心に活躍していますよ。       

 

 

Very Thanks to エイツー 馬渕店さま

written by ERIRIN兄 (2000.7.20)

 

 

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